売れる絵と売れない絵の違いとは? 素人が描いた売れない絵の価値はどこにある? 

有名な画家が描いた絵は高額な値段がつくため価値が高いと思われがちです。
一方、素人が趣味で描いた絵や名もなき画家が描いた売れない絵の価値はどこにあるのでしょうか。
「売れない絵に価値はない」「素人が描いた絵なんて恥ずかしい」と思う人は意外と多いのかもしれません。

今回は、売れる絵と売れない絵の違い、素人が描いた売れない絵の価値についてお話しします。

売れる絵と売れない絵の違いとは

結論から言えば、売れる絵と売れない絵の違いは「買い手が見つかったか」の違いだけです。
買い手が多ければ多いほど値段は高くなります。
これは絵に限らず、野菜や日用品にもいえる需要と供給の関係です。

<その絵が心に響く人と出会った絵は売れる>


野菜や日用品は、全員の必需品であるため、買い手がたくさんいます。
そのため、スーパーに並べれば買い手がみつかります。
一方、絵は野菜のように全員が必要とするものではありません。
また、絵は作品ごとに個性があります。
食べ物に例えるならば、需要が多い米やパンではなく、限られた人しか食べない珍味のようなものです。
好きな人は好きだけど、珍味の味がわからない人や存在を知らない人は口にすることはありません。

売れる絵は、その絵が心に響いた人と出会えたから売れたのです。
限られた地域でしか買えない珍味をたまたま旅行客が気に入って買うようなものです。
珍味は味に独特の癖があり、好みは分かれます。
人によっては「癖になる味」ですが、人によっては「嫌いな味」です。
売れる絵は幸運にも「癖になる味」と感じる人と出会えたのです。
言い換えれば、売れない絵は「まだ味がわかる人と出会えていないだけ」とも言えます。

<描いた人が手放さない絵は売れない>

同じ野菜でも自家菜園で作り、自分で食べるだけならば売れることはありません。
自家菜園の目的は、売ることではなく自分で食べる分を自分で作ることです。

「モナ・リザ」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作です。
「さぞ高値で売れた絵だろう」と思われるかもしれません。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチは生前「モナ・リザ」は売らずに持ち続けて描き続けていたのです。
つまりレオナルド・ダ・ヴィンチにとって「モナ・リザ」は売れなった絵です。
結局、レオナルド・ダ・ヴィンチがこの世を去ってから「モナ・リザ」は弟子が相続してフランソワ1世に売ります。
どんなに素晴らしい絵でも、描いた本人の心に響いた絵は、売られることなく「売れない絵」のまま生き続けるのです。

自家菜園の野菜には、スーパーで売っている野菜とは違った価値があります。
売ることが目的で描かれていない絵には、自家菜園の野菜と似た価値や魅力があります。

「売れる絵だけがいい絵」ではない! 「心に響く人と出会った絵」が売れる絵

「モナ・リザ」は誰もが求める素晴らしい絵です。
それでも売りに出さなければ、その作品が心に響く人と出会い、買われる機会はありません。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、自分の心に響いたからこそ「モナ・リザ」は売りに出すことなく、生涯手元に置いたのでしょう。
つまり単純に「売れる絵だけがいい絵」とは言えないのです。
売れる絵は、描いた人によって売りに出され、それを欲しがる人と出会える「運」があった絵ではないでしょうか。

最近は、画廊以外でも絵を売るプラットフォームがあります。
自分が描いた作品が心に響く人と出会うチャンスが増えたのです。
誰かの心に響く絵は、その人にとってのいい絵になります。

素人が描いた売れない絵の価値とは

素人が描いた売れない絵の価値は、描いた本人の心に響くかどうかで決まります。
描いた本人が「この絵が好き」と思えば、その絵に価値はあります。
たとえ、売りに出して買い手がつかなかったとしても、描いた本人が「この絵は大切にしたい」と思えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」を大切に思ったことと同じくらいの価値があるのではないでしょうか。

絵の価値は、素人が描いた絵か有名画家が描いた絵かで決まるものではありません。
ましてや売れたか売れなかったかで決まるものでもありません。
絵の価値は、その絵をみて心に響く人がいるかいないかで決まります。

自分の子どもが描いた絵は親の心に響きます。
子どもの絵は、有名画家が描いた絵でも高額で売れた絵でもないけれど、価値がある絵です。
プロが売るために描く絵は、多くの人の心に響かせるように描きます。
一方、素人が描く絵はピンポイントで心に響く人がいる絵です。
たった一人の心にでもなにかを響かせることができる絵は、十分に価値のある絵といえるのではないでしょうか。

おわりに

絵を売るプラットフォームが充実してくると、絵の価値を判断する基準が「売れること」になってしまう傾向があります。
しかし、絵を描く本来の目的は売ることではなく「表現すること」です。
絵は表現しただけでも価値はあり、表現したものが誰かの心に響いたり、自分の心を満足させたりすることができたら十分な価値がある絵です。
絵の価値判断を見誤ってしまうと絵を描く目的も見誤ります。

「絵は表現できただけでハナマル」「売れた絵は求める人と出会えた運のある絵」です。

文筆:式部順子(しきべ じゅんこ)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業
サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。
在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。

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