同じ「ひまわり」でもこんなに違う! 絵を描く意味がわかる「あの人のひまわり」

「ひまわり」は絵になる花です。
ゴッホだけでなく、有名な画家の多くがひまわりを描いています。
しかし描く人が変われば絵も変わります。
「これが同じ花か? 」と思うほど印象が違うのです。

今回は、さまざまな画家が描いた「ひまわり」を紹介しながら、絵を描く意味について考えたいと思います。

ゴッホの「ひまわり」

ゴッホの「ひまわり」といえば、黄色い背景でツボのような花瓶に生けられたひまわりの絵を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし実は、ゴッホの「ひまわり」はたくさんの種類があります。

アニメ映画で取り上げられた背景が紺色のひまわりも印象的です。
一般的に絵に描く花はきれいに咲いている状態であることが多いのですが、
背景が紺色のひまわりはどの花も咲き終わりが近く、中にはテーブルに落下しているものもあります。
この絵は、第二次大戦で焼失しました。
もう二度と見られない作品だと思うと、なおのことさみしさを感じる「ひまわり」です。
どことなくゴッホの人生を連想させる作品です。

また、テーブルの上に置かれた2つの大きなひまわりを描いた作品もあります。
ひまわりの種が集まっている部分に違和感がある作品です。
実は、この作品の下にはゴッホの自画像らしき絵が描かれています。

そして、一番有名な「ひまわり」が現在SOMPO美術館にある作品です。
整った形で咲いている花もあれば花びらが反り返っているものもあります。
しかし、どの花も個性を爆発させて今を生きている感じがします。

ゴッホの「ひまわり」をみていると筆者は「ゴッホ自身に似ているなぁ」と感じます。
テーブルに落ちている絵はゴッホの落胆、一番有名な絵はアルル時代のいきいきとしたゴッホ。
すべての絵に熱さとさみしさが共存しています。

ゴッホがひまわりを描いた意味は「大好きなゴーギャンのため」と言われていますが、
もっと深く考えてみると、ゴーギャンに自分を知ってもらうために、自分自身をひまわりに置き換えて、
さまざまな自分を描いたのではないでしょうか。

クリムトの「ひまわりの園」

クリムトもひまわりを描いています。
クリムトが描くひまわりは、ゴッホのように花の部分を大きくドンと描くのではなく、
長い茎や葉をしっかりと描き、小ぶりな花が咲いているひまわりを1枚の絵にたくさん描いています。

クリムトといえば「接吻」のように愛を感じる絵が有名です。
クリムトは生涯一度も結婚はしませんでしたが、恋人はたくさんいたといわれています。
恋人との間には子どももたくさんできました。
クリムトが描くひまわりのシルエットは、クリムトが好んできていた服のシルエットにも似ています。
もしかしたら、クリムトはひまわりを自分の周囲にいる恋人や子どもたちを思い浮かべながら描いていたのかもしれません。

ゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」

ゴーギャンはゴッホが大好きだった友達です。
一時は一緒に暮らしたこともありましたが、熱いふたりの共同生活はぶつかることも多く、短期間で終了します。
ただ、ゴーギャンはゴッホの描くひまわりが大好きであり、ゴッホがこの世を去るまで交流は続いていました。

「肘掛け椅子のひまわり」は、ゴーギャンがこの世を去る2年前に描かれた作品です。
実は、絵に描かれている肘掛けのついた椅子は、ゴッホがゴーギャンのために用意した椅子にそっくりなのです。
ゴーギャンは、ゴッホが自分に用意してくれた椅子の上にゴッホを象徴するひまわりを置いて描くことで、ゴッホへの思いを表現していたのではないでしょうか。

ゴーギャンが描くひまわりは、ゴッホに共通する熱さがあり、ゴーギャンらしい色使いです。
もしもゴッホがこの絵をみることができたのならば、どんなに喜んだのでしょうか。

同じモチーフでもひとり一人感動が違うから絵が違う

ゴッホもクリムトもゴーギャンも同じひまわりを描いていますが、受ける印象は全く違います。
ゴッホのひまわりは直接的な熱さとさみしさがあり、クリムトのひまわりは一本一本が一人の人間のような孤独や孤立を感じます。
そしてゴーギャンのひまわりは、ゴッホを追懐しているような温かさがあります。

同じモチーフでも、描く人によって全く印象が変わる原因は「感動の違い」です。
感動はひとり一人違います。ひまわりをみて「きれい」と感じる人もいれば「暑そう」と思う人もいるでしょう。

最近はAIが描く絵が話題です。
リアルな絵が素早く描けるため「人間が絵を描く必要がなくなる」と思われるかもしれません。
しかしAIは、過去に人間が描いてきた絵や画像を元にして絵を描きます。
つまりリアルの感動を元にした絵ではなく、「過去に誰かが感じた感動を組み合わせて絵を作り上げている」ともいえるのではないでしょうか。
人間が絵を描く意味は、人間だから得られる生の感動や気持ちを表現するからです。
ゴーギャンが「肘掛け椅子のひまわり」に託したゴッホへの思い、クリムトのひまわりから感じる「周囲に人はたくさんいても感じていたさみしさ」はAIには表現できないでしょう。

おわりに

「私よりも絵が上手い人がいっぱいいることがわかったから絵をやめる」という人がいます。
評価される必要がある絵は商用です。
商用は売れなければいけないため、ライバルが多いことはやめる理由にもなるでしょう。

しかしゴッホもゴーギャンもクリムトも「上手いと言われたいから」という理由でひまわりを描いていません。
絵を描く意味は自分の感動や思いをゼロから絵にすることです。
誰かと全く同じでなければ、絵を描く意味はあるのではないでしょうか。

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