理想の絵画教室「バウハウス」とは? バウハウスといい絵画教室の共通点

バウハウスを知っていますか? 美大の講義でしばしば登場する造形学校の名前です。
わずか14年間で閉校になりましたが、今なお「バウハウスとは」と美大の講義に登場することには理由があります。

今回は、理想の絵画教室ともいえるバウハウスについてわかりやすく解説します。

バウハウスとは

バウハウスとは、1919年(大正8年)にドイツに誕生した学校です。
大きな特徴は、絵を教えるだけの学校ではなく、ジャンルを問わず造形を教育する学校であり、建築を最終ゴールにしていました。

開校当初は、入学できる年齢に制限はありませんでしたが、約10年後には18歳以上から入学できるようになりました。
18歳以上ならば50歳でも80歳でも入学可能です。
入学後半年間は造形の基礎を学びます。
基礎を学んだあとは、ガラスや金属や色彩などの専攻に分かれて学び、最後は全員が建築で終わります。
バウハウスでは、芸術は油絵やデザインのようにバラバラになるのではなく、すべてを建築に統合し、自己満足で作品を作るだけではない芸術家を育てることを目指していました。

バウハウスは、それまでにはない考え方で誕生した学校だったため、閉校するまでの14年間でコロコロとカリキュラムや学長が変わりました。
まさに手探り状態の運営だったのです。
最後は時代の流れにのまれ、やむを得ず閉校となりましたが、バウハウスの理念は現在でも世界の芸術へ引き継がれています。

バウハウスの造形教育の魅力

バウハウスの閉校後もバウハウスで育った芸術家がそれぞれのやり方でバウハウスのすばらしい造形教育を引き継ぎました。

ここからは、バウハウスの造形教育の魅力を3つ選んでお話しします。

<失敗OKのチャレンジ精神>

バウハウスは新しいカリキュラムと理念で開校しました。
そのため、授業も試行錯誤です。
例えば、織物のような工芸は教師不在でした。
教えられる教師がいないため、生徒たちは自分たちで試行錯誤しながら織物を学んだのです。
もちろん失敗続きです。それでも失敗することから多くを学ぶことができました。
東京国立近代美術館に展示されているブロイヤー・マルセル作のイスの座面に使われている強い布地「アイゼンガルン」は、バウハウスでの試行錯誤の中で生まれました。

バウハウスでは、すでにある知識やノウハウを教育するだけでなく、生徒自身が実際にやってみて、失敗することを許す教育が行われていたのです。
そして生徒たちは失敗の中から新しい解決策や目標を自らみつけることができました。

<新しい感覚を積極的に受け入れる>

バウハウスが始まる以前のドイツでは、飾りがたくさんついた装飾たっぷりのものが好まれていました。
ランプならば、ランプのガラス部分を隠すように施された装飾こそが芸術美と考えられていました。
しかし、バウハウスでは素材をそのまま生かしました。
なぜならば、装飾を減らしシンプルなデザインにすることでコストを抑え、多くの人達に作品がいきわたるからです。

けしてバウハウスが美しさよりも効率を重んじたということではありません。
当時は多くの人が「ごちゃごちゃと飾ることが美しい」と考えていました。
しかしバウハウスは、目に入る形や素材の使い方で「そのものを美しい」と捉える感性に気づかせたのです。

<自己満足ではない芸術を目指した>

バウハウスは、14年の間に3人の学長が就任しました。
1人目は、バウハウスを開校した人で、建築を中心として社会と関わることができる芸術家育成を目指しました。
2人目はとても効率を重んじる人で美しさよりもテクニックを重視し、社会とのつながりやコストを優先できる芸術家育成を目指しました。
3人目は、再び美しさを重視し試行錯誤しながらの造形活動ができる学校を目指しましたが、時代の流れとともに閉校に追い込まれました。

3人の学長は、目指すゴールや時代背景が異なりますが、共通していることは「好きなように作ればいい」という自己満足型の芸術ではないということです。
芸術や芸術家の立場を上げるためにも社会とのつながりをもち、芸術家を孤立させないようにしたかったのではないでしょうか。

バウハウスといい絵画教室の共通点

バウハウスは、試行錯誤が多かったため経済的には厳しい学校運営でした。
しかし、教育の内容はお金にかえられない価値があり、今でも多くの美術教育にいかされています。

ここからは、バウハウスといい絵画教室との共通点をみつけます。
バウハウスのようにのびのびとした教育が受けられる教室探しのヒントになるのではないでしょうか。

<はじめから専攻するジャンルを固定しない>

バウハウスでは入学後にすべての学生が造形基礎教育を受けます。
はじめから専攻にわけることなく、広く知識を深めることで選べる幅を広げたのです。
絵画教室も同じです。
はじめから「ここは油絵教室です」というように専攻を固定されてしまったら、可能性や興味に気づくことができません。

いい絵画教室は、画材の種類が豊富にあり、画材と出会う機会を提供しています。

<さまざまな画風の先生がいる>

バウハウスの先生は、マイスターと呼ばれ、さまざまな専門家がいました。
有名画家のクレーやカンディンスキーもバウハウスのマイスターでした。
マイスターは、画家だけでなく彫刻家や版画家もいました。
また、個性の強いマイスターも多く、さまざまな性格や画風の先生と接することで生徒は表現の幅や感性を広げることができたのではないでしょうか。

いい絵画教室には、さまざまな先生がいます。
かわいい絵を描く先生もいれば、こわい絵を描く人もいます。
さまざまな画風の先生がいる絵画教室は、さまざまな個性を認めている絵画教室です。

<共通した理念がある>

バウハウスには、さまざまな専門家が集結していましたが、目指すところは「芸術の共通語を作ろう」でした。

絵画教室も同じです。
先生たちの個性はバラバラでも、絵画教室の理念や目指すことは共通していることが大切です。
共通した理念をもっていることで、専攻が違っても一貫した教育をすることができます。

おわりに

現在、学校としてのバウハウスはありませんが、バウハウスの教育に影響を受けた美大や教室はたくさんあります。
「ここが私のバウハウス」と言えるような絵画教室で試行錯誤の創作活動を楽しんでみてはいかがでしょうか。

文筆:式部順子(しきべ じゅんこ)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業
サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。
在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。

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