墨絵の画風はたくさんある! 墨絵のバリエーションの多さがわかる有名な作品3つと番外編

墨絵は黒い墨で描いた絵です。
カラフルな色彩がなければ、どうやって描いても、誰が描いても似たような画風になるのではないかと思われるかもしれません。
しかし、同じ画材を使っても描く人や時代が変われば全く違った絵になります。

今回は想像以上にバリエーション豊富な墨絵の世界がわかる有名な作品3つを紹介します。

これぞ王道「松林図屏風」長谷川等伯

長谷川等伯の松林図屏風は、中学校の美術の教科書に掲載されています。
定期試験にも必ず出題される作品のため、知っている人も多いのではないでしょうか。
松林図屏風は、墨絵の王道であり「まずは知っておきたい作品」です。
墨絵独特の静かさを余白で表現していますが、松の木は激しい筆の跡で凛とした存在感があります。

墨絵といえば、筆でお習字を描くようになめらかに描くイメージがあります。
松林図屏風の松の木は、筆ではなく籾(殻をとる前のイネの実)がついた藁で描かれています。
籾が墨を吸収するため、筆よりも動きのある線を描くことができます。

松林図屏風は墨絵の王道です。なぜならば「わびさび」があるからです。
「わび」とは、隅から隅まで細かく描き込まれた絵だけを素晴らしいと感じるのではなく、
余白や余韻を前向きに楽しめる心です。
例えば、わびの心を持っていない人が松林図屏風を鑑賞したら「余白が多すぎて意味わからない」となりますが、
わびの心を待っている人が鑑賞すれば「完ぺきではない筆跡、空気を感じるための必要最低限の墨色が素晴らしい」となるのです。

「さび」は寂しさを秘めた美しさです。
ギラギラと光り輝く美しさや豪華さではなく、内に秘めたものがある美しさです。
長谷川等伯は、松林図屏風を描いている途中に子どもをなくしています。
松林図屏風の特徴である濃淡(濃が等伯自身、淡が子ども)には、長谷川等伯が心に秘めた寂しさがにじみ出ています。

THE日本「海山十題」横山大観

横山大観は富士山の絵が有名です。
海山十題は、海の絵と富士山の絵をそれぞれ10枚ずつ描いた20枚セットをいいます。
墨絵といえば富士山、富士山といえば横山大観です。

ただ「海山十題」には悲しいエピソードもあります。
海山十題が描かれた1940年は第二次世界大戦の真っただ中です。
横山大観が描いた海山十題は、高値で売ることができました(現在のお金にして約50億円)。
横山大観は、売って手に入れたお金を全部国に渡したのです。
戦争真っただ中であったため、多額のお金は戦争の資金にあてられました。
横山大観が日本への愛を込めて描いた絵が、悲しい方向で日本のために使われた悲しいエピソードです。
そのため海山十題は、戦争絵画と呼ばれることもありました。

墨絵や日本画には長い歴史があります。長い歴史の中で豊富なバリエーションができたことも事実ですが、
長い歴史の中には悲しいエピソードがあったことも忘れてはならないのではないでしょうか。

シンプルなアート作品にもみえる「〇△□」仙厓

長谷川等伯と横山大観は、少しだけ「寂しさ」のエピソードを交えてお話ししました。
「やっぱり墨絵の世界はさみしいわ」と思われてしまったかもしれません。
墨絵の画風には、ユニークでアート作品のようなものもあります。
それが仙厓の「〇△□」です。タイトル通り、画面いっぱいに〇と△と□だけが描かれたシンプルな作品です。

「〇△□」は、宇宙を表現しています。僧侶だった仙厓には、宇宙さえも「〇△□」という形の基本形にみえるのでしょう。
墨絵は、筆と墨の濃淡で繊細に表現することが共通の画風と思われがちですが、墨絵にも油絵や現代美術と同じように抽象画はあります。
また、仙厓はかわいいイラストのような墨絵も描いています。
筆者がずっと「つながれたブタの絵」だと思っていた作品は「犬図」という「鳴いている犬の絵」でした。
さらに「ひょうたん」だと思っていた作品が自画像だったり、猫だと思っていた作品がトラだったりと仙厓の作品は現代の若い人にも受けそうな「へたうまのかわいいイラストのような絵」がたくさんあります。

現代の墨絵

墨絵の歴史は長く、時代によって画風も変化しました。
現代の墨絵はさらに変化しています。
使われる画材も増え、より幅広い表現ができるようになっています。

絵にするモチーフも「墨絵といえば松や富士山」でしたが、今はアニメキャラクターや龍など好きなものを好きなように描いた作品がたくさんあります。
現代の墨絵は「水墨画」や「墨絵」というジャンルを超えて、現代アートの表現手段のひとつにもなっています。

おわりに

長谷川等伯は安土桃山時代、仙厓は江戸時代、横山大観は明治大正昭和を生きた画家です。
3人とも時代が違い、見ていた景色は違います。
そして今は令和です。
景色どころか文明も生活もさらに変化しています。
墨という同じ画材を使って、まったく違った時代を生きている人間が絵を描くことに筆者はロマンを感じます。
「墨絵はこうでなくてはならない」と考えることは時代遅れです。
今を生きる今の自分だから描ける墨絵を描いてみてはいかがでしょうか。

文筆:式部順子(しきべ じゅんこ)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業
サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。
在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。

関連記事