AI(artificial intelligence:人工知能)が急速に進歩したことで、人間の生活は便利になるといわれています。
しかし一方では、AIが絵を描けるようになったため、人間が絵を描く必要はなくなるのではないかと心配する人もいます。
今回は、AIや技術の進歩によるメリットを考えながら、10年後に人間が描く必要がなくなる絵や人間が絵を描く意味について考えてみましょう。
目次
AIが絵を描くプロセスとは
「AIピカソ」というアプリがあります。
例えば「ゴッホ・風景画」と入力すると、AIがゴッホの過去の作品データを探し出してゴッホ風の風景画を描きます。
ゴッホの作品も風景画もインターネット上には多くのデータがあるため、AIにとっては描きやすいテーマです。
AIは、人間が過去に描き貯めた作品を基にして絵を描くため、時代が進めば進むほどデータ量が増えて絵を描きやすくなるのです。
AIは「なにを描いたらいいのだろう」「描くネタがない」と頭を悩ませる人間とは全く違ったプロセスで絵を描きます。
「求められる絵」と「描きたい絵」の違い
AIと人間の絵の意味を考えるためには「求められる絵」と「描きたい絵」の違いを考えておく必要があります。
「求められる絵」と「描きたい絵」には大きな違いがあります。
今「求められる絵」のレベルはけして高くはありません。
SNSやウェブ上で大量に消費される絵は、質よりも著作権フリーで安く気軽に使えることや納期厳守で量産できることが優先されるのではないでしょうか。
まさにAIならば、クライアントの要望をくみ取った絵をスピーディに安く描くことができます。
一方「描きたい絵」は正反対です。
思い入れが詰まった作品を著作権フリーで提供することは難しく、丁寧に描き込めば大量生産も難しいでしょう。
時間と手間がかかれば単価も高くなります。
「自分は求められる絵と描きたい絵のどちらを描いていくのか」を考えてみると自分にとっての絵を描く意味が少しだけみえてくるのではないでしょうか。
10年後に人間が描く必要がなくなる絵とは
「求められる絵を描いていきたい」と思った人はAIがライバルになるでしょう。
クライアントの要望を効率よくまとめる力も仕上げる速さも人間がAIに勝つことは難しいのではないでしょうか。
「きれいな絵」「量産できる絵」が求められる絵ならば、10年後には人間が求められる絵を描く必要はなくなるでしょう。
AIは、膨大な過去の作品データを元にしてクライアントの要望に応じた作品を瞬時に描きます。
ひとりの人間の頭に入っている知識量よりもずっとたくさんのデータをAIは活用できるでしょう。
また、AIは人間のように疲れず、休みも不要です。
納期厳守で納品することができます。
10年後に人間が描く必要がなくなる絵とは、AIと同じように「過去の作品と通じる絵」や「生産性を優先した絵」です。
今こそ考えたい「人間が絵を描く意味」
AIが人間よりも上手く速く絵を描ける時代に、あえて人間がゆっくりと人間くさい絵を描く意味はどこにあるのでしょうか。
ここからは筆者が考える「人間が絵を描く意味」についてお話しします。
<人間はリアルタイムの感動が描けるから>
AIの絵と人間の絵には根本的な違いがあります。
それは絵の基になる「感動」です。
AIの感動は、過去の感動であり、AI自身ではなく誰かの感動です。
人間の感動は、リアルタイムの感動であり、他でもない本人の感動です。
人間が絵を描く意味は、描く本人の感動をぶつけるためではないでしょうか。
過去に例がないリアルタイムの自分だけの感動は、生きている人間にしか描くことはできません。
<人間の感動は時代とともに進化するから>
ゴッホが生きていた時代のアルルは、ゴッホの目にはのびのびとした黄色いイメージの風景に見えていたのでしょう。
もしも今、ゴッホが生きていてアルルの景色をみたら何色で描くのでしょうか。
巨大な彫刻作品にもみえる「ルマ・アルル現代アートセンター」をゴッホがみたら全く新しいアルルの絵を描くのではないでしょうか。
AIが描くゴッホ風の絵は、たしかにゴッホが描きそうな絵です。
しかし、それはゴッホの過去の感動を組み合わせた絵です。
人間の感動は時代とともに進化します。
AIが持つことができない真新しい感動を生み出せるのは人間だけです。
言い換えれば、人間の真新しい感動があるからこそAIの絵は進化できるのです。
絵を描く意味や必要性は点線でいい
AIは疲れることもスランプに陥ることもありません。
絵を描く意味よりも需要があれば描き続けるでしょう。
人間は疲れるしスランプもあります。AIのような技術が登場するたびに「人間が絵を描く必要なないのか」と立ち止まるでしょう。
しかし筆者はそれでいいのだと思います。
長い人生の中でずっと全力で走ることはできません。
実線ではなく点線で描き続ければいいのではないでしょうか。
むしろ人間は、点線の線がない部分でAIが持っていない「新しい感動」を蓄積することができると筆者は考えています。
おわりに
これからはAIが得意とする絵と人間しか描けない絵の住みわけが求められているのだと筆者は考えます。
例えば広告に使う「3歳児の絵」が必要ならばAIが描いた絵がいいでしょう。
一般的な3歳児の絵を瞬時に描き、多くの人に驚きを与えます。
しかし自分の3歳の子どもの絵はAIには描けません。
AIには、リアルタイムで成長している目の前の子どもの感動をくみ取ることはできないからです。
「10年後は人間が絵を描く必要がなくなるか」の答えはNOです。
人間が感動できる限り絵を描く意味はあります。
そして自分の子どもが描いた絵のように人間が生の感動を描いた絵は驚きではなく感動を与えるからです。
文筆:式部順子(しきべ じゅんこ) 武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業 サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。 在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。