絵画教室と学校教育の違いとは? 無気力な子や集団になじめない子で悩んでいる親へ伝えたい4つのこと

自分の子どもが何事にもやる気がなく無気力であったり、いつも一人でポツンとしていたりすれば親は心配になります。無気力な子どもには「もっと頑張れ」と言いたくなるし、集団になじめずポツンとしている子どもには「もっと積極的に輪に入れ」と言いたくなります。

しかし、子どもの立場から考えてみると、一概に子ども側に原因があるとも言えないのかもしれません。

今回は、無気力な子や集団になじめない子に悩んでいる親に伝えたい4つのことと、絵画教室ができることについてお話しします。

無気力な子は指示されて動くことに疲れているのでは? 

無気力な子は、親からみると「少しでも楽をしたい子」や「何事にも意欲がない子」にみえるかもしれません。
しかし「好きなことならば集中できる」というならば、無気力なのではなく、指示されて動くことに疲れているだけなのかもしれません。

子どもに限らず、大人でも「やらなければならない」と思えば、嫌々ながら重たい腰を上げます。
とくに大人は、やりたくない仕事でも報酬をもらえるため、頑張ることができます。
一方、子どもは頑張ったところで報酬をもらえるわけではありません。
家庭によっては「テストで高得点をとったら褒美をあげる」という交換条件を出して子どものやる気に火をつけることもあるようですが、それは本当の意欲とは違います。

褒美や報酬、義務感は外発的動機です。
自分が心から「やりたい」と思って動くのではなく、やらざるを得ないからやるだけです。
好きなことでいきいきと活動できるならば、無気力なのではなく学校でも家庭でも指示されて動くこと、つまり外発的動機付けによる行動に疲れているだけなのではないでしょうか。

集団になじめない子は人と合わせることに疲れているのでは? 

新年度が始まると、親は「友達ができたか」「新しいクラスにはなじめたか」と心配です。
子ども自身が積極的に友達に話しかけたり、係に立候補したりしているならばいいのですが、はじめから友達をつくる気もなく、教室でひとりポツンとしているとなれば心配になります。
しかし、もっと心配すべき子は集団になじむために「自分」を見失っている子どもです。
集団になじむために自分の素を隠して「受けのいい人」を演じ続けていたり、居心地の悪い場所に我慢して居続けていたりするようでは、いつか限界がやってくるでしょう。

集団になじめずひとりでポツンとできている子は、ポツンとすることで自分自身を守れているのではないでしょうか。
人と合わせることが必ずしもいいこととは限りません。
集団になじめないことは、見方を変えれば「どんなときでも自分を保てる強さ」でもあります。

無気力な子は「やりたいこと」で気力が湧き出る

どんな理由でも無気力な状態ばかりが続くことはよくありません。
自分がいきいきと活動できる瞬間が多ければ多いほど人生は楽しくなるものです。

指示されて動くことに疲れているならば、自分がやりたいことをみつけることから始めてみましょう。
誰かに指示されて仕方なくやるのではなく、自分がやりたいからやる「内発的動機付け」です。
やりたいことならば没頭し気力が湧き出てくるはずです。
やりたいことをみつけるコツは、自由に考える余裕を与えることです。
余裕は、時間も場所も心にも必要です。

学校教育では、カリキュラムに沿って授業を行わなければなりません。
自由に考える余裕を与えることは難しいのかもしれません。
無気力な子で悩んでいるならば、家庭など学校以外の場所で自分と向き合える場所を用意してあげるといいのではないでしょうか。

集団になじめない子は自分が輝くことで人を惹きつける

「集団になじめない子」と「ひとりが好きな子」とは似ているようで意味が違います。
ひとりが好きな子は、ひとりでいることを苦痛に感じてはいませんが、集団になじめない子はひとりでいることを苦痛に感じているかもしれません。
その場合は、気の合う友達をみつけてあげた方が学校での居心地がよくなるのではないでしょうか。

気の合う友達をみつける方法は、積極的に輪に入ることだけではありません。
自分の魅力を発信することで気の合う友達を惹きつけることもできます。
好きなことをみつけてのめり込んでいる人や気力がみなぎっている人は人を惹きつけます。
「好きなことをみつけること」は、無気力な子にも集団になじめない子にもよい影響を与えます。

義務教育は「子どもの義務」ではなく「親の義務」

子どもが何事にもやる気がなくなり、クラスになじめない状態が続くと「学校に行きたくない」と言い始めるかもしれません。
親は「学校に行くことは子どもの義務なのだから行きなさい」と言いたくなります。
しかし、義務教育の義務は子どもの義務ではありません。
親が子どもに教育を受けさせる義務です。
つまり、子どもには「学校に行きたくない」と言う権利があり、親には何らかの方法をみつけて子どもに教育を受けさせる義務があります。

子どもが「学校に行きたくない」と言うと、つい子どもを責めたくなりますが、実は親が子どもに合った学び舎を探してあげることが求められているのです。

絵画教室と学校教育の違い

「学校に行きたくない」ということは、学校教育や学校に苦痛を感じています。
学校教育の特徴は2つあります。
一つ目は、カリキュラムに沿った授業が行われることです。
カリキュラムは一般的な子どもを基準にして作成されるため、ひとり一人の個性を尊重することはできません。
二つ目は、学校は自分ひとりに対して複数のクラスメイトや先生が存在することです。
複数の中には、さまざまな個性があり、ときには太刀打ちできないほど合わない個性とぶつかることもあるでしょう。
どちらの特徴にも共通していることは、子ども自身では「逃げる」という選択肢が選びにくいことです。
カリキュラムという枠の中から逃げることは難しいでしょう。
また、社会人になれば「苦手な人とは関わらない」ということもできますが、教室では「関わらない」ということはとても難しいことです。

絵画教室と学校教育との違いは、まさに「逃げられる」です。
「逃げる」というと悪いイメージがありますが、ときには逃げることで救われたり、自分と向き合う余裕が生まれたりします。

絵画教室のカリキュラムは、ひとり一人の個性を尊重することができます。
学校よりもクラス単位を維持する必要性はないため、必要に応じて関わりたい人と関わるという選択もできます。
絵画教室は、いい意味で「逃げることができる場所」です。
逃げることで自分を保ち、逃げることでやる気を湧き出させることができます。

おわりに

学校教育は、集団での生活や人とのかかわり方、多様性の理解など大人になるために必要なことを学べる必要不可欠なものです。
しかし、中には学校に居場所がないと感じている子どももいます。
学校が頑張る場所ならば、絵画教室は自分らしくいられる場所です。
子どものもうひとつの居場所として絵画教室を検討してみてもいいのではないでしょうか。

文筆:式部順子(しきべ じゅんこ)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業
サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。
在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。

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