絵を人にみられたくない! 絵を習いたいけど「自分の絵をみせたくない人」の理由別解決方法

上手に絵が描けるようになりたけれど「自分の絵を人にみせたくないから習えない」と思っている人も多いようです。
絵画教室に通えば、先生だけでなく生徒に絵をみられることもあります。
しかし「みられたくないから習えない」はもったいない話です。

今回は、自分の絵をみせたくない人によくある理由と理由別の解決方法をお話しします。

自分の絵をみせたくない人によくある理由

小さな子どもは、絵を描くと「みて」と積極的に絵をみせようとします。
しかし成長するとさまざまなことを考えるようになり、みせたくない理由が出てくるのです。

まずは、自分の絵をみせたくない人によくある理由を紹介します。

<「下手」と言われることがこわいから>

人に絵をみせたくない人の一番多い理由が「下手と言われたくないから」ではないでしょうか。
誰でも自分の作品を侮辱されれば怒るだけでは済まず、自信をなくしてしまうでしょう。
絵が好きで描き続けたい気持ちが強い人ほど、自信をなくすことを恐れます。

<作品やアイデアが盗まれるリスクを避けたいから>

最近はコンクール以外でもSNSで簡単に自分の作品を公開できます。
自信がある人は「私の絵をみてほしい」を思い、SNSに投稿するかもしれません。

しかし一方で、自信があるからこそ作品やアイデアが盗まれることを恐れる人もいます。
SNSに投稿なんてもってのほかであり、作品を人目にさらすことも嫌だと考えます。

<自分の内面をみられるようで恥ずかしいから>

絵には、自分の内面がにじみ出るものです。
外からは明るく単純な性格にみえても、絵をみたら想像もできないダークな世界観が表現されていることもあります。
自分の知られざる一面が絵に出ることを楽しめる人もいますが、人にみせたときの反応を心配したり、恥ずかしがったりする人もいます。

「みられたくない」「みせたくない」はいずれ「みせたい」になる

絵を人にみられたくないと思うならば、絵は誰にもみせることなく描き続けることもできます。
しかし、ひとりで描き続ければ講評も指導も受けることができません。
さらに、よほど絵に対する強い執着がなければひとりで絵を描き続けることは困難です。
ゴッホは孤独な人と思われていますが、ゴッホの周りには作品をみてくれる人がいました。

さまざまな理由から「みられたくない」「みせたくない」と思っていても、絵が好きで「もっと上手になりたい」という気持ちがあるならば、いずれ「みせたい」と思う日が来るはずです。
みせたくないときに無理に絵をみせる必要はありません。

大切なことは、みせたくなったときに「みせるべき相手」にみせることです。

理由別解決方法

自分の絵をみせたくない人のよくある理由を3つお話ししました。
ここからは、それぞれの理由を解決する方法をお話しします。

<「下手」と言うような人にみせる必要はなし>

「下手」と言われることを恐れて絵をみせないならば、みせる相手を選べばいいのです。
人の作品にいきなり「下手」と言う人に絵をみせる必要はありません。
その人は、自分の基準で作品の良し悪しを判断するわがままな人かあなたをライバル視している人です。

絵に限らず、美術作品には理解が難しい作品がたくさんあります。
しかし「理解ができない理由」は、みた人の感性に触れなかったからです。
ひとりの感性に触れなかったから、すべての人の感性に触れないとは言えません。
同じ映画でも感動する人もいれば、つまらなかったと感じる人もいます。
それと同じことです。

ただ、作品を作った人や描いた人に直接「下手」と伝える必要はありません。
あえて「下手」と言う人は、ただ単に無礼な人であり、そのような人に絵をみせる必要はないでしょう。

また、あなたをライバル視している人は「下手」と言うことで自分を安心させているのでしょう。
ライバルに「下手」と言われたということは、負けん気を引き出せたほど「上手」に描けたということです。

<作品をみせる人や場所は選ぶべき>

作品やアイデアが盗まれることを恐れているならば、それは正しいことです。
ただ、恐れすぎて作品を一切人目にさらさないことはもったいない話です。
作品をみせる人や場所を選ぶことで盗まれるリスクは避けることができます。

SNSは手軽で多くの人に作品をみてもらうことができますが、画面の向こうはいい人ばかりではありません。
もしも「マネされたくない」「盗用されたくない」と思うのならば、自分よりもずっとスキルが高い人にみせるべきです。

<恥ずかしくなるくらい表現できたなら自信をもつべき>

「自分の内面をみられるようで恥ずかしいからみせられない」と思う人は、自信がない人かもしれません。
ただ「絵をみせることが恥ずかしい」ということは、外からみられる自分と作品とのギャップを「恥ずかしい」と思っているのです。
作品からギャップを感じるくらい自分の内面を表現できたということは、本当ならば自信をもっていいことなのではないでしょうか。

作品や自分に自信がもてるようになると、人にギャップを感じさせたり、驚きを与えたりすることが喜びになります。
そして「もっとすごい作品をみせてやる」とパワーが湧いてくるものです。
「恥ずかしい」は、ちょっとしたきっかけでパワーに変わります。

おわりに

「絵を習いたいけれど絵をみせたくない」と思ったときには、絵を習いたい気持ちを優先するべきではないでしょうか。
そして先生に「きつい言葉で評価されることがこわい」「比べられることが嫌だ」など素直な気持ちを伝えます。

絵画教室の先生は、たくさんの生徒をみてきた経験があります。
「性格を直してやろう」「強く鍛えてやろう」とは思いません。

ただ「絵の楽しさ」を伝えます。

文筆:式部順子(しきべ じゅんこ)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業
サークルは五美術大学管弦楽団に在籍し、他大学の美大生や留学生との交流を通じ、油絵や映像という垣根を超えた視野をみにつけることができた。
在学中よりエッセイを執筆。「感性さえあれば、美術は場所や立場を超えて心を解き放つ」をモットーに美術の魅力を発信。子育て中に保育士資格を取得。今後は自身の子育て経験もいかし「美術が子どもに与える影響」「感性の大切さ」を伝えていきたい。

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