これは、アトリエCHICORAのオンラインアートクラスに参加した、ある親子の体験をもとにしたストーリーです。
「絵は得意なはずだったのに…」「最近、描かなくなったなあ」──そんなお子さんが、自由な表現の場で“もう一度絵を好きになるまで”の軌跡をお伝えします。
「もぉ、やだ…なんでうまく描けないの…」
机に顔を伏せて、わが子が泣いたとき、私はどう声をかけてあげたらいいのか分かりませんでした。
まさか、“絵を描くこと”で泣く日が来るなんて思ってもみなかったからです。
うちの息子は、小学3年生。
小さい頃から絵が大好きで、暇さえあればスケッチブックにペンを走らせていた子でした。
動物、乗り物、空想の生き物――描くテーマは毎回バラバラだけど、
自分の頭の中の世界を、自由に描いていくその姿が私は大好きでした。

目次
◆ 「もっと上手に描かなきゃ」と言い始めた日
でも、3年生になってからでしょうか。
ある時から、絵を描くたびに「これじゃダメだ」と言うようになりました。
「先生みたいに、ちゃんとバランス取らなきゃ」
「猫ってこんな顔だったっけ…なんか変じゃない?」
一度気になり始めると、どんなに素敵な絵でも「違う」と言って描き直すようになり、
完成しないまま丸めて捨ててしまうことが増えました。
特に学校の図工や、市のコンクールなど**「人から見られる機会」**があると、
自分に対するダメ出しがどんどん厳しくなっていったのです。
◆ 「絵って楽しかったんじゃなかったっけ?」という違和感
その日も、「好きな動物を描こう」という学校の課題を家で仕上げていたときでした。
「猫を描く」と決めていたはずなのに、10分も経たないうちに「ヘタすぎる」「もうムリ」と言って紙をぐしゃぐしゃに。
私は「いいじゃん、かわいい猫だよ」「猫って、いろんな顔してるよ」と励ましたつもりだったのですが、
それがかえってプレッシャーになってしまったようで…
「ママにはわかんないよ!どうせまた“がんばったね”とか言うんでしょ」
そう言って泣き出した姿を見て、私は愕然としました。
◆「上手かどうか」ではなく、「描くことが楽しい」と言える場所を探して
“このまま絵を嫌いになってほしくない”
でも、正直どうしたらいいのか分からなかった私は、インターネットでいろんな絵画教室を探し始めました。
そして偶然出会ったのが、アトリエCHICORAのオンラインアートクラスでした。
公式サイトには、こんな言葉が書かれていました。
「うまく描くよりも、自分らしく描く」
「間違いも、アートの入り口」
その一文に、心がほどけたような気がしました。
◆ はじめてのレッスンで見た、“素の笑顔”
オンライン体験レッスンは、Zoomを使ったグループ形式でした。
レッスンのテーマは「空想の街を描こう」
「本当にある街じゃなくていいよ。君が住んでみたい町を、好きな形、好きな色で描いてみよう!」
その瞬間、子どもの顔がパッと明るくなりました。
「え、好きな形でいいの?」
「家が空に浮いててもいい?」
「猫バス通ってるのもアリ?」
先生はひとつひとつに、「いいね〜!それ面白い!」「最高!」と全力でリアクションしてくれます。
◆ 「上手じゃないけど、自分の街」
その絵を見て私は泣きそうになった
レッスンが終わったあと、描いた絵を見せてくれました。
ビルの上に雲が乗っていたり、道路が迷路になっていたり、ピンクの木が並んでいたり…。
“正確”とか“バランス”とは程遠いけれど、子どもの頭の中の世界がそのまま紙の上に広がっていたのです。
「ここね、夜になると光るんだよ」
「ここのお店、空飛ぶパフェ売ってるの」
生き生きと自分の世界を語るその声に、私は思わず胸が熱くなりました。
◆ あれから──「描くこと」が再び、日常に戻ってきた
それからというもの、アトリエCHICORAのクラスを毎週楽しみにするようになりました。
「次のテーマ、なんだろう?」とワクワクしながら絵を描く姿を見て、
私もようやくホッとしました。
そして驚いたのは、学校の図工にも変化が出てきたこと。
「これ、自分の好きな形でやってみた」
「前は猫ばっか描いてたけど、今日はハリネズミ」
“うまく描く”より、“伝えたいことを描く”に気持ちが変わっていったのだと思います。
🍀 正解のない世界で、子どもは自由になる
アトリエCHICORAの先生が言っていた言葉が忘れられません。
「絵の世界には、間違いなんてありません。
そこに描いた気持ちがあるなら、それはもう素晴らしい表現です」
この言葉が、わが子を、そして私を、救ってくれました。
🎨 あなたのお子さんにも、
「絵が好きだったのに、最近描かなくなった」
「うまく描こうとして、筆が止まっている」
そんな様子があるなら、一度アトリエCHICORAを体験してみてください。
わが子は、絵が“評価されるもの”から、“楽しめるもの”に戻りました。
今、その変化が私の一番の喜びです。